隠し味的に「わかんない」
ぐっすり眠れた。今朝もコーヒーを飲みながら書いてみます。
それにしても今日も日差しが気持ちの良い天気だ。
純粋を志向してはならない、集団はできるだけ多様である方がよいと強く訴えた哲学者が20世紀の初めにいた。オルテガ・イ・ガセットである。
『大衆の叛乱』でオルテガは「大衆」を自分のことを「完全」だと信じ込み、「自分の外にあるものの必要性」を感じず、「自己閉塞の機構」のうちに安住しているものと定義した。「大衆」は知るべきことはもう知っているつもりでいるので、外からの声を聴く気がない。だから、「大衆」が支配的な存在様態である時代に個人は孤立し、原子化し、社会は「たがいに分離し敵意をもつ小集団」に分解する。オルテガはそれを「野蛮」と呼んだ。雑に生きる - 内田樹の研究室中高生向けに学校教育について一冊本を書いた。どういうタイトルにしようか少し考えてから『雑に生きる』にした。タイトルを決...
今朝はなんとなく内田樹さんのblogを「先生、おはよーございまーす」的な感じで覗いてみた。そしたら上記の記事が目についた。たしかにそうだよなぁ。と。
で、そんな「大衆」な自分はどうそれに少しでも抗っていけばいいんだろうなと。
わからないことを持ち続ける
これなんじゃないかなと。人生でも、仕事でも、哲学でも、宗教でも、料理でも、音楽でもなんでもいい。そういうものって結局のところ「わからないなぁ」の連続というか繰り返しじゃん。それを大事にしていけばいいんじゃないかな。
「えー。謎だなぁ。意味わかんないなぁ。どうすればいいんだろうなぁ。」
そんな感じでいいんじゃない。
逆に、人生でも、仕事でも、哲学でも、宗教でも、料理でも、音楽でもなんでもいいんだけど、これを使って「わかってしまう」のがオルテガのいう「大衆」なんだろうね。リアルでもネットにも沢山あふれてるね。私ももちろんわかったような口を聞くことはたくさんある。
でもそれって閉じてるんだよね。やっぱり閉じてる。
ちょっとだけ、少し気に掛ける程度に。隠し味的に。自分の生活に「わかんない」を入れておく。つねに全開放ってのは無理かもしれないけど、ちょっとぐらいはオープンにいたい。
さてさて今日も「うーん。どうしよう。」ってな感じで生きていきましょう。
そんなことを思う朝でした。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
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