雪が降って消えた

今日昼前、この冬初めて日中雪が散らつくのを見た。粉雪が強い風に舞って横に流れいつの間にか暗い雲の塊は見えなくなり青空が顔を出していた。雪が降ったのは幻だったように消え去ってどこにも見当たらない。

日本海側に住んでいた頃はこんな乾いた風に飛ばされる軽い小雪は見たことがなかった。雪を箒で掃いている人を初めて見た時は何をしてるのかすぐにはわからなかった。わからないものをただぼおっと見つめていた。触って確かめその性質を知ってからやっと取り込んでこうだねと記憶に滑らせる。

少し積もったらすぐ掃かないと固まってしまうからいそいそと箒を持って外へ。たまにドカ雪が降ったら雪掻きスコップのお出まし。

そのような、冬なのに太陽がよく顔を出してる太平洋側に今は住んでいる。

粉雪が葉っぱの茂る木に積もると美しい雪の木になる。これも日本海側では見たことのない風景だ。雪の重さと大きさが違う。湿った雪がたまに降るとうきうきしてしまうのは日本海側の雪を思い出すから。

言葉もさらさら軽いものから重くて包み込む温かみがあったりずっしりのしかかってくるものがある。住んでいる気候や場所の違いで身につく言葉も違いが出てくるのだろうか。

そういえばゴッホやピカソなどの画家たちはこぞって南フランスの明るい光の景色に魅了され絵を描いていたという。石畳の小路や石造りの家の光の反射。その美しさを描き留めようとする画家たちの嬉しそうな姿を想像する。

日本海側の冬は、一旦雪が降り出したら一日中降り続き音が消え翌朝一面雪景色になっていた。 驚きとともに新しい世界がやってきたようにワクワクした(それは子どもだけだったかもしれない)。

屋根の上から父のはつらつとした声が響いてきた。同じく近くの家の屋根に積もった雪を降ろしてるその家の主と話す声。少し離れてるから大きな声で話してる。屋根で交わす声が響いて賑やかな場に変化した。珍しいことだったから珍しくドカ雪が降った日だったのかもしれない。

いつもはみんな朝家から誰かが出かける前にできるだけ家の周りを雪掻きする。それができない通学路などは、最初のひとりが歩いたあと次の人は足跡が付いていない所をわざわざ歩いて足跡をつける。振り返るとさっきまでの自分の足跡が見える。次の人もその次の人も道ができるまで続いてく。足跡は重なり次の人のために道ができあがっていく。

そうして何人も歩いたあとはツルツルに滑る道になる。小学生たちはそこを滑っていく。走り始めるとき勢いをつけて滑ると歩くより早く進むからよくやっていたけれど当然よく転ぶ。車が通らない道だからできたこと。

その道の端に雪掻きした雪が積もり当時小学低学年の自分の背より高く積もってやがてそれは固くなりその上をわざわざ歩くことをする。視点が高くなったのが面白かったんだと思うけれど時折り排水溝のあたりなのか突然穴が空いてそこに落ちてしまう子がいたらしく学校からやめるようにと通達があったこともあった。雪が降るとずっと長靴。雪が積もると長いサンダルのような形のスキー板に長靴を差し込んで広場に積もった山の雪でスキーをして遊んだ。

常にグレーの雲が浮いて陽の光を遮ってても雲の中を通り抜け地平の雪景色に乱反射して一帯が明るくなる。空と地平が同じ色の世界になる。夜は街灯や家から漏れた明かりが反射して美しく柔らかい景色となって暖かく見えた。真っ暗な外に出て真上に顔を上げると大粒の雪が音もなくすーっと降りてくるその景色。上を向いてる限り宇宙の彼方へ吸い込まれていきそうになった。

道路の雪が溶けて道が見えてきた頃は春の兆しだった。冬が来る前に落ちていた物の姿が現れてくる。時には犬や猫の死骸が出てくることもある。雪の下の時間は止まり春に動き出した。

家の中に洗濯物を干すものだから湿度が上がってほっこりと部屋は暖かくなった。

子どものころに離れたから冬景色はいい思い出ばかりなのだろう。大人は雪掻きやら大変だったろう。山の麓にある祖母の実家で1度だけ数十メートル先の家にかんじきを履いて田んぼなのか道路なのかわからない真っ白な雪の上を歩いていって楽しかった。サクサクサクッ積もった雪の上を沈みこまずに魔法のように歩いていけた(今も山歩きのための似た形のがあるようだけとプラスチックみたいな材質のようだ)。

今夜は風雪注意報が出てる。山沿いは大雪注意報まで出てる。もしかしたら明日起きたらうっすら雪が積もってるかもしれない。

↓いつか見つけた猫の足跡 🐾

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