レモンパイという憧れは一切れの場面として輝いている

ののえみつ

数日前、とうとう身近にレモンパイを見つけた。ショーケスの中にその姿を認め、今買わなければもしかしたら明日にはないかもしれない、いやチェーン店だし明日にも明後日にもまだあるだろとか他のケーキを物色する振りをしながらレモンパイのことばかり考えていた。レモンパイへの憧れがどこから始まったのかはもはや覚えていなかったけれど、一度は食べてみたいなと思いながら数年経っている。お店がたくさんあるような街に出ればそりゃあるのはわかっていたし、レモンパイの出回る季節になるとかつてのツイッターでどこそこの喫茶店がというまとめが上がっていたから、きっともっと貪欲さと行動力を己が備えていたらレモンパイだけのために車を出し電車に乗りなんだか洒落た喫茶店などへ赴いたのでしょう。でもそこまでの気持ちはなかった。偶然出会えれば重畳。

と、思っていたのだが。

いざ二切れを持ち帰りコーヒーを淹れ一口目の塩梅をどのようにして切り取ろうかとちょっと思案したのち、白いとこ黄色いとこ同じくらいかなとあたりを付けいざいざいざ! 食した。メレンゲはこのような柔らかさ、レモンカードはこのような甘酸っぱさ………………なんか思ってたより感動がない。こういう感じか〜だった。レモン味のケーキだな……おいしい……と味わいつつもなんか違う。自分が求めていたのって、ちゃんといい感じの空間に彩りのある皿に載せて澄ました一切れにわくわくすることたったんだな。そういうものが欲しかった。欲しかったのはレモンパイがそこにある文脈と、その上で感じる味と心の動きだった。

食べ物としてはおいしかった。それは本当のことで、ただきっと次にまたトマトマークのチェーン店のショーケスに見たとしても、それはいくつかある選択肢の一つになっているんでしょう。

ブログってこんな感じでしたっけ? おわり

ののえみつ
ののえみつ @nonoemitsu.bsky.social

長い長い独り言

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