なたみの感想

何かを使ってみたり、遊んでみたり、行ってみたりしたことを綴る。

また関西人と関東人が喧嘩している

また関西人と関東人が喧嘩している

目次

 対戦型SNSと化したX(Twitter)で定期的に流れてくる話題がある。

 「関西人 VS 関東人」だ。

 これについてはお互いの地域性の違いや方言のことを巡って長らく発生し続けていることではある。しかし、関西から出て現在関東で働いているわたし(大阪ミナミ出身)からすると「こんだけ殴りあっとんねからもういい加減お互いがお互いのこと分かるようになれや」と思う。

 今回はネット上でよく見かける議論について、わたしなりの意見を述べていくことにする。

 ちなみに最近流れてきた議論は関東人による「関西人の使う『おもんない』って場がしらけるんだけどどういう意図で使ってるの?」というツイートから始まったように見える。今絶賛議論中なのでしぬほど暇な人は見に行くといい。

「関西人はどこへ行っても関西人である」ことの理由

「関西人は関西弁をどこでも使う」とよく言われる。わたし自身もそうであるし、大体の人がそうだろう。そして自分の故郷の言葉を使うのは、自身のアイデンティティを大切にしたいという気持ちが強いからであろう。

 ところが、「郷に入っては郷に従え」と指摘する人もいる。しかしわたしはこう思う。それは会社での仕事のやり方の話であって、誰かのアイデンティティを否定したり無理に変えさせようとするようなものではない、と。

 みなさんも、例えば友達と旅行する場合、いつもの友達とのノリを一切出さずに淡々と旅行をするものであろうか? 一緒に行く相手と目的にもよるだろうが、場所がどこであろうと相手と話を合わせて楽しく過ごすのではないだろうか。その際、辺りをはばかって声の大小や話す内容は気にするだろうが、「ここは地元じゃないから、友達が相手でも固い言葉で話さなきゃ!」と意識まではしないだろう。

 そもそも関東、とりわけ東京の人は「東京には方言がないからな~」と言っている印象があり、自身のアイデンティティが薄いことを自覚しているのに他の人のものを攻撃するのはおかしくないだろうか。

 実際、そのような「標準語[1]の押しつけ」によって方言文化というのが廃れてきてしまったのではないか。日本語の豊かさが失われつつあるのではないか。

 ついでに言うと、東京の人が使っている言葉も、他の地域の人からしたら立派な方言なので、誇りに思ってほしい。その言葉をバカにするやつがいたら、それはそいつが単にカスでおもんないやつです。

 万葉集には「東歌」の中で当時の関東の人が使っていた方言(東国方言[2])も残っている。ちゃんとした歴史がありますよ。誇ってください。こっちもこっちで誇りますから。

関西人はちょっと思い上がっている?

 ただ、こう思いもする。関西人が関西弁を使えるのは、方言の中でもポピュラーなものであるからに過ぎない、と。

 明石家さんまやダウンタウンなどの関西弁話者がテレビ(全国区)で広めてくれたから、ある程度関西弁は受け入れられるだろうという気持ちもあると思う。この点においてはたしかに関西人は思い上がりがあるかもしれない。

 いや、でも、よく考えたら日本史の中で江戸に幕府の機能が移るまで、あるいは関東という地が開拓されるようになるまでは、関西がすべての中心だったので思い上がりでもなんでもないですわ。

「SNSで方言を使うな」論に対して

 方言は話し言葉の中でもかなり砕けたものである。語彙やニュアンスを理解できない人からすると、ノイズになるのは当然だ。その分、方言には自分の気持ちや考えを感覚に近い表現で述べることができるという利点がある。

 そのノイズを許容できない人は「公共の場で方言を使うな」と言う。

 たしかにSNSは公共の場であるが、書き言葉と話し言葉が混在してしまっている場でもある。その中で方言を使うなと言われても困るのが正直なところだ。

 実際、SNSを利用している人々がどこまで書き言葉と話し言葉の区別を理解できているだろうか。社会人でも混ざっている人が多くいるというのに。

 何を言っているか理解できないのであれば、本人にそう聞けばいい。知見を広げようとせずにただ批判するのはよくないと孔子も言っていた気がする[3]。

お互いの理解のために

 こういった議論が度々起こるのは、お互いに接した人間のサンプル数が絶対的に少ないからだと思う。

 わたしも関東に来るまではなんとなく関東の人のことを怖い、冷たいと思っていたし、実際勤めて一年目で強烈なパワハラ等[4]あったがほとんど誰も助けてくれない状況だったので、その一年目だけで関東の人を評価するならそうだろう。

 しかしいろいろあってそれを乗り越えられたのも、また関東の人に助けられたからであり、それからの交流もかけがえのないものとなった。

 こういった経験をしてきているからこそ、度々起こる喧嘩がもったいないなと感じる。言葉の使い方やニュアンス、文化は違えど、小さな島国の仲間たちではないか。共存くらい頑張れよ。

 あと最近の流行りの言葉、「多様性」じゃないんですか? この言葉はあまりにも範囲が広すぎて好きではないのだが、そうやって掲げられている以上は、突っぱねるのはいかがなものだろうか。

 ま、一緒にたこ焼きでも食うて、落ち着こうや。もんじゃでもええで。もんじゃ食うなら餅明太な! え? チーズ明太?

 それは喧嘩。


  1. 標準語は日本語において設定されていないが、東京の人は自分たちが使う言葉をなぜか「東京弁」ではなく「標準語」と主張する。

  2. 東国方言のことを関東の方言と一概に示すのは暴論すぎる。

  3. 「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患える」とか「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」がそれっぽくないですか。

  4. 「関西弁は汚い言葉だからなおせ」って言われたことがあります!

    あの! 調べたけど脚注のつけかた全然わからなくて恥ずかしいです! すみません!


  1. 標準語は日本語において設定されていないが、東京の人は自分たちが使う言葉をなぜか「東京弁」ではなく「標準語」と主張する 。 ↩

  2. 東国方言のことを関東の方言と一概に示すのは暴論すぎる。 ↩

  3. 「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患える」とか「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」がそれっぽくないですか。 ↩

  4. 「関西弁は汚い言葉だからなおせ」って言われたことがあります! ↩