お茶会(コンテンツ)を楽しみ続けるためには何が必要か?

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はじめに、ここでいうお茶会は大雑把にファンタジーのお茶会だと思ってくれて構わない。
最近は見かけなくなったが、以前はよくジャンルやコンテンツ等に対して「○○は永遠に!」とか「○○は不滅!」という言葉を聞いていた。それらを聞いていたとき、エネルギッシュな人々がいるのだなと思っていたし、ジャンルやコンテンツ、コミュニティにはそういった熱量がある人たちがいるのは大事なことだと肯定的に受け取っていた。しかし、最近になって思ったことがある。確かにジャンルやコンテンツは長く続いているのかもしれない、しかし、それを構成する人々も長続きするのだろうか?と。もちろん、不幸があったり等の意味もあるだろう。だが、より起こり得るものとして、そもそも同じ熱量を保ち続けるのが難しいのではないだろうかと考えている。

感応度逓減性

ここで一つ、感応度逓減性という心理学の用語を伝えておきたい。これは簡単に言えば、人はだんだんと同じ刺激に慣れてくるというものである。例えば、私はお寿司が好きでよくサーモンを食べている。初めてのお店でサーモンを食べると、あまりのおいしさに感動するだろう。しかし、サーモンを繰り返し食べているとだんだんとその感動が薄れてくる、というものである。これを読んでいる方も、サーモンに限らず、また食べ物に限らず同じような経験をしたことがあるのではなかろうか。
つまり、最初は何もかもが新しい刺激だったコンテンツも、何度も摂取していればその刺激に慣れてしまう。そして同じ熱量を保ち続けるのが難しくなっているのではないか、と私は考えている。

予想:お茶会に何が必要か

ではタイトルに戻ろう。お茶会には何が必要になるのか。これらは私の予想に過ぎないためもしかしたら間違っている可能性もあるが、話半分でも読んでもらえたら嬉しい。
まず1つ挙げられるのは、より強い刺激を投入することではないか。お茶会であれば高品質の紅茶と豪華なティーフーズを出し続けるのだ。新しいコンテンツを出し続けて刺激を上書きする。これが昨今の推し活であり、また近年のXではないかと私は見ている。ただ、これはイタチごっこのようにも見える。刺激を受け取る側は最初は反応がよいかもしれないが、それもだんだんと慣れてくる。そしてさらに強い刺激を求めるようになるのではないかとみている。
では、もう一つは何だろうか。私は「終わり」を設けることだと思っている。正確に言えば「区切り」だ。1回のお茶会をずっと続けるのではなく、一度解散して余白を設けまた別日に行うというものだ。コンテンツでも一度積極的に関わることを休んだり、ペースを落としたりして区切りを付ける。これを行えば、ずっと同じ刺激を受け止める必要はなくなる。非日常から日常に戻って刺激と離れれば、もしかしたらコンテンツを違う角度から見ることができ、それを新たな非日常の刺激として受け止めることだって出来るかもしれない。

終わりに

本文とは関係ないが、人々の様々な事柄の熱量には個人差があると言うことは重々承知しており、ライトになるのもヘビーになるのもその人らの個性があって私は好きだ。しかし、その差が優劣に用いられるのに対しては懐疑的な立場をとらせてもらう。他者がそのコンテンツや事柄をどのように思っているか、どこまで関わりたいかは複合的な要因が絡んでいると睨んでいる。
私のこの考えはすぐには納得されないだろう。いつか人々が単一の指標に疲弊したときにこの考えに行き着いてもらえればそれで満足である。

ポリタフォルス
ポリタフォルス @polif45291.bsky.social

ゲーム(リバース1999など)をプレイしています!日常も呟くよ! メメモリに関するカスタムフィード運用してたりどこかのコミュニティの管理人をしてたり。最近は予約投稿を使ったりもしています。 ※フォロバは必ずしも行なっていません

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