ブローガスト4日目 体毛のこと

前回書こうとしていた体毛の話です。生まれた時に割り当てられた性別が女で今の自認も女である私の体毛について覚えてることをただ書きなぐっていきます。

両親の遺伝のおかげか生まれた時から赤子の頃から髪の毛がふさふさだったと聞かされています。実際に写真を見ると黒々とした豊かな髪の可愛い私がそこにいます。これが体毛にまつわる最初のエピソード。

次に体毛を意識しだしたのは中学生に入った頃。年頃になったら腕に生えているうぶ毛が無いように処理するといい、と同級生の姉から教わり、除毛クリームで処理することを覚えました。それ以降、除毛クリームを使い続けたような記憶があまりなく、おそらく安全カミソリを使用するようになったはずです。処理する部位も腕のきっかけは覚えているのに、脇や脛も同時期に処理するようになったのか、腕よりはデビューが遅かったのか覚えていません。ただ、高校生になる頃には腕、脇、脛は処理していたような気がします。

ひとつ忘れていました。顔のうぶ毛です。鼻の下、唇の上にあたる部分は、おそらく腕よりかは早く、母に言われて自分でやるようになったのか、やってもらっていたのか、小学生の時には時々かみそりで剃っていたと思います。

体毛の処理で、嘘か誠かの話を聞いたのも小学生高学年か中学生に入った頃。母親はパンツスタイルがほとんどで、母の友人はスカートだったのですが「パンツスタイルのほうが脛毛が服と擦れるから毛が生えにくいんだよ」と聞かされてました。実際に母は脛毛がほぼ生えていなかったのでそういうものかとすっかり信じていましたが、私もほぼパンツスタイルですが母とは違ってしっかり生えます。あれは本気で言ってたのか、冗談で言ってたのかどっちなんだろう。

そういえば、小中学生の頃の教師でストッキングの内側にしっかり脛毛の存在を見ていた記憶があります。その先生ひとりだけだったのか、他の先生もそうだったのか、これも記憶がありません。ただ、その脛毛を見ている自分はなんとも思っておらず「女という生き物は頭髪以外の体毛を処理しなくてはならない」という規範にがちがちに囚われてはいなかったことは覚えています。

体毛処理が当たり前になった高校時代のあと、大学生の頃に一度、腕の処理を処理を止めていた時期があります。カミソリで処理して少しだけ伸びてきたチクチクした手触りが嫌だったこと、セルフ脱毛は痛そうだしエステや医療脱毛にお金をかけるのは勿体ないと感じてたからです。所詮、うぶ毛だし脛毛に比べたら存在感は薄いからまあいいか、とも思っていました。まあいいか、なので心のどこかでは毛のないツルツルのほうがいいという囚われはあったはずです。この頃、同世代の友人たちの中でほんの数名、脇を永久脱毛した人がいました。処理からの解放とツルツル感が最高だよ、と自慢の脇を見せてくれました。東京あたりではどうだったかわかりませんが、都市部ではないのどかな場所で暮らしていた昭和後期に生まれた私の世界ではプロの手による脱毛はまだ敷居が高い存在でした。

そこからびゅんと時間を早送りして現在。40代の自分の腕にはふさふさと毛が生えています。長い間かみそりで処理を続けてはいたけれど、無駄な毛とされ、女は当然のごとく腕や脛や脇を処理をするものだという世の中の目線が鬱陶しくなってきたところだったので、まずは腕の処理はやめてみようと決めたのが数ヵ月前です。脛毛はどうしようかな。体毛がおそらく濃い目の部類に入ると思われ、脛毛はなかなかの存在感です。その存在感を利用して「イライラした時や気持ちの落ち着かない時に脛毛を抜く」というのを気分転換のひとつとして使っているので、ツルツルではないけれどボーボーでもないという現状維持のままになりそうです。

顔は鼻の下をカミソリで、眉毛の下はカミソリだったりピンセットだったり、脇はカミソリだったり電気シェーバーだったり、というのが現在の処理状態です。脇は毛がないほうがにおい対策によいと聞くのでツルツル維持というほどしっかりやらないけど適当な感覚でやってます。世の中の目線は鬱陶しいし、自分がそこに囚われるのは嫌だけれど、ツルっとしたものに美しさを感じる感覚もあります。ムダ毛という呼び名もいつから始まったんでしょうか。なんとか共存しているけれど難しくて面倒な存在です。そこに在っても無くても、付き合い方が決まってるほうがあまり考えずにすむのかもしれませんね。処理するものだと決まっていた過去の自分のほうが体毛のことをいちいち考えてはいなかったように思えます。

体毛のこと、今度は誰かの話を聞いてみたいです。

よしの別邸
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「よしの」の別邸です

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