脆弱性とストレスと穢れと
今朝は快晴で気持ちが良い。でも微妙に薄っすら頭痛。そんな朝です。
一杯のコーヒーを飲み切って、デカフェコーヒーに切り替えたところです。ネットの記事を読んでいて、ふと思ったことがあるんです。
脆弱性をゼロにすることって無理じゃん。ストレスもゼロにすることって無理だよね。
そんなことが頭に浮かんできた。
で、脆弱性の話は置いておいて、ストレスの話を考えたので書いておきます。
仕事や生活でストレスをゼロにするのは無理じゃん。それは誰でもわかってることだと思うんだよね。その前提で色んな解消方法だったり、ストレス回避だったりを試したり実践する。で、不思議なもので「ゼロにならない」って前提はわかってるのにゼロにしようとしちゃうんだよね。
気づいたらゼロにしたい。ゼロにならないとイライラする。ゼロになったつもり。
で、結局は見ないようにしちゃうことが多いのかもって気がする。
突発的なアクシデントでストレスとか、そういうのはわかりやすいと思うんだけど、ほかにもストレスになるから「見たくない」とか「考えたくない」ことってあるよね。これって「見たくない」「考えたくない」から、ゼロにしたいって気持ちが強いと、抑圧して見え難くなってるのかも。
で、たぶんそういう見え難いものからのストレスってある意味サインみたいなもので、本当はこうしたいとか、こうなりたいとか、そういうのを発見するために使えるんじゃないかって気がする。使えるというか仲良くしていく方が良いのかも。
ストレス=悪
ストレス=穢れ
こんな感じなってる気がする。
でもたぶんそれって不自然というか、あまり良いもんじゃないような気がする。
ストレス=なんだかんだで友達
ストレス=それも含めて自分
こんな感じが良いのかもしれない。
そんなことを思う朝です。