コミュニケーションに必要な「語彙の調整力」

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今月中に体の調子が悪くて病院に行き、そこで診察やら何やらが済んだ後家に帰った。薬局でもらった薬の説明を読んでいたが、ある薬には別紙のパンフレットみたいなものがついていた。1度読んでいたときはこういう副作用があるのかーくらいにしか思っていなかった。というのも、そのときは割とショックが大きかったためにあまり細かく見ることはできなかった。しかし、その日の夜になって改めてそのパンフレットを読んでみると少し変わった視点から見ることができた。というのも、薬の知識がなくてもその薬の効能や副作用が分かるということだった。本来であればもっと難しく説明もできたことだろう。しかし、服用者に対してある程度かみ砕いて説明しているという点に気づき、妙にすごいなと感心した自分がいた。

語彙力を付けるだけでは足りない

過去に同じようなことを書いている。

リンク先が見えなかった場合のために全文も載せておく。
『ふと思った「語彙力は必要なのか」という疑問。
必要か否かなら必要だと思う。ただ、個人的な考えとしては語彙力だけを重視しても不十分で、特に相手との会話において相手に合わせて語彙を調節できる理解力や調整力みたいなものと併せる必要があるんじゃないかなって思った。』
現時点であまりこの回答に対する意識の変化はない。基本的に語彙力は付けておいて損はないと思っている。語彙力を付けておけば自身が見える世界を言語化することができ、それに併せて視野も広げることができると考えている。しかし、人と会話をするときには語彙を身につけているだけでは不十分なのではないかと思っている。上述したものは会話ではないが、薬の服用に関するものでもただ専門的な語彙を身につけてそのまま記載していたら、私のような薬学に関する知識が皆無のものは理解するまでにかなりの時間を要するだろう。つまり、会話の相手の理解度に応じて話者が話したいことを調整する能力がコミュニケーションにおいて必要なのだろうと思っている。

話が分かれば、相手が応じてくれる“ことも”ある

相手が理解してくれたらどうなるのか。話が理解でき、それが相手にとって興味のある内容であれば会話が弾むかもしれないし、そこまで興味がなくても認知はしてくれるかもしれないだろう。
ただし、重要な点がある。相手が必ずしもこちらの話に乗ってくれるとは限らないことだ。これはコミュニケーションでは当たり前の話だろう。話し手側の興味の範囲や主張があるのと同じで、聞き手側にも興味の範囲や主張は当然ある。なので、「こちらが話したんだから相手は乗って当然」とは思わない方がいいだろう。相手の反応を見てきちんと対応するのが円滑なコミュニケーションの一歩であると思う。

終わりに

過去に書いた投稿が薬のパンフレットを見て思い出すとは正直思わなかったというのが一点。それと、最近は私自身語彙力が落ち始めているのではないかと何となく感じているので、これを機に小説でも読んでみるのも悪くないと思った次第である。

ポリタフォルス
ポリタフォルス @polif45291.bsky.social

ゲーム(リバース1999など)をプレイしています!日常も呟くよ! メメモリに関するカスタムフィード運用してたりどこかのコミュニティの管理人をしてたり。最近は予約投稿を使ったりもしています。 ※フォロバは必ずしも行なっていません

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