興味の幅が広がった話し

興味の幅が広がった話し

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2026年6月5日(金)に名古屋へみーさんと行ってきた。今回の目的はふたつ。愛知美術館で開催されている歌川国芳の錦絵を観る、三重県桑名市のなばなの里で植物を買う(みーさん希望)。

いつもの通り下道ロングドライブの日帰り挙行。(つまり貧乏旅)

生の錦絵を観た

  • のっぺりした絵から立体的躍動感に変わった

  • 蔦屋重三郎、喜多川歌麿、葛飾北斎、写楽の影響

  • 生死の近さ

  • あだち版画研究所の新しい版画を見て本質を知った

みーさんから「浮世絵を見にいこう」と提案を頂き、国芳展の前売りチケットを4月ぐらいに買っていた。混むのがふたりともに苦手なので有給とって平日に見に行くことにした。

第一印象は、まぁ展示数が多いこと。結構な数が展示されていて後半ぐったり気味になった。

面白かったのは観客は最初細部を観てる。だんだん順路を経て行くうちに少し離れて全体を観るようになっていくのが見てて面白かった。当然わたしもそう見てた。

過去年賀状で版画を使ったモノを作成しており、一応素人ながら版画印刷についてはひと通りのプロセスは知っている(絵師、彫師、摺師をひとりでやってきた)。

大きい本屋や図書館では版画に関する本を眺めており、底そこの知見はあるつもりで国芳をみてる。ただし、生の錦絵は初めてである。

まずは技法に着目した。特に彫り。主線はプロセスが簡単だし、彫り/刷りとして見るべきは線の細さ。髪の生え際が最も分かりやすい。服の皺や模様といったところに多用されている。こうした如何に細く作るかは桜や楓、朴木など硬い木が使われる。多分、国芳はほぼ桜の木なんじゃないかな…?

おそらくだが、彫師の技巧として国芳の頃には細線の技術はピークを迎えていて、どうやれば確実に刷れるかが確立してたと思われる。生え際の深さ(長さ)、間隔がほぼ均一だったし細線の極限(限界)がほぼ見えていたと思った。

自分でもどこまで細くできるのか試したくなってうずうずした。絵師視線というより彫師モードでほぼ見てた。

錦絵も例外漏れず、如何に微細な部分をリアルに表現するという方向にいく。

次に色。ここは勉強不足で何が顔料として使われていたか分かっていない。明らか時代に対して色の多さは実感できた。色によって濃淡を出し絵に奥行きを持たせている。また、色板で着物の模様が彫られている。これをどうやって作ったのかさっぱり分からなかった。

基本、錦絵は主線があるので、塗る場所は主線で囲われた部分を全体的に刷るように版木を作る。その中に模様を彫るのだけど、ここは主線無く模様が刷られていた。自分の版画は塗るだけの版画なので色の版木に模様を描く(それも着物のシワや流れに合わせて)プロセスが分からない。色の指定もどうやっているのか、色を重ねる手法や、そもそも顔料は何を使っていたのか。どうすれば刷りズレが起きないのか。

この辺は再度勉強し直して、自分でもやってみたいと思った。

線の細かさが多用されると彫師泣かせの絵になるが、有名な絵ほど微細な線が多用される。作品を見てて常に彫師泣かせの部分を探す見方をしてしまった。

順路を進むうちに、だんだん絵の全体を見るようになってくる。正直、絵として浮世絵の良さが分かっていなかった。全体的にのっぺりしているし、遠近法も雑だ。リアルというより明らかにデフォルメ要素が大きいといった印象をもっていた。

それは印刷されたモノを見て感じていたことであり、生の作品を見て行くうちに、絵全体の立体感が出てきて、そこに躍動感、流れ、構図の良さみたいなモノを感じるようになった。閲覧中、休憩した時に展覧会冊子(印刷物)を見たが、やはりどう見てものっぺりしている。

錦絵は生を見ると違って見えるのに気がついた。ちゃんと奥行きがあるし、役者絵や物語絵の人物、背景に奥行きを感じる。この感覚は何?印刷物なのに現代印刷されると奥行きがしんでしまうように見える。

その原因が何か全く分からない。去年にモネを観賞したがその時も同じ感覚を覚えた。絵は現物を観た方がいい。という原則に帰結する。錦絵もそうなのか。

絵師の視点で作品を見てると、とにかく生死の近さを感じた。特に刀を持って妖怪を押さえつける武者がモチーフの絵は迫力がある。刃物を持つということは当時少なくとも殺めることが前提にある。つまり死が近い。だから刃物を持つということは生死の際でのやり取りだ。その迫力が凄かった。

例えば現代の絵師の人たちが描く刃物はチャンバラに近いと思う。死が遠い。どうしてそれは抜けることができない。死が遠いから。本気で刃物を他人に向け切ることや、刃物を向けられて傷つくことをが皆無だからだ。

少なくとも国芳まではその生死が近かった。刃物を持っている絵は迫力があるし、その持つ腕や体格の躍動感に圧倒された。押さえつける手にこもる力が分かる。

そうした時代背景も含めて迫力が伝わってきた。

最後に大河ドラマ「蔦屋重三郎」でも監修した「あだち版画研究所」がミュージアムショップに出店して新しい生の版画を観た。(1枚2万円する)

なんと表現して良いか分からないが、「ものすげぇ綺麗」えっ?!当時もそんな発色だったの?!

今まで観た東海道五拾三次や富嶽が全然違うモノに見える。瑞々しい。明るい。黒がしっかり黒。お金があったらマジでこの版画欲しい。

江戸時代、この状態で一枚数百円程度で売られていたら絶対買う。衝撃的だった。錦絵がちゃんと錦絵。北斎が新しい北斎。版画の不思議。過去の初版を市中の人が見たら絶対衝撃を受ける。そりゃ売れるわ。

蔦屋重三郎がやったことの本質は、どこまで美しいモノを広く広めるか。その美しさが目の前にある。

顔料、紙質は当時とは比べモノにならないだろう。しかし版木を起こすのは今も昔も変わらない。今も北斎は生まれ変わっているのは知っていたが、ここまで綺麗な刷りモノだとは思わなかった。

東海道五拾三次、全部揃えると100万円超えてたよ。けど、その価値に見合う美しさはある。マジで欲しい。

***

愛知県美術館後にして桑名市のなばなの里に行った。正確には、なばなの里に併設されているバカでかい植物市場に行った。

普段、植物にはあまり興味がない。ぶらぶらと市場を眺めている時に不意にハイビスカスが目に入った。何故かはわかないが綺麗な花だなとマジマジと見始めた。すると、何故おしべとめしべがこんなカタチになっているのか、花びらの色が途中で変わっているのは何故かなど疑問が湧いてきた。

そしてよくよく観察すると、どの花もいろいろなカタチ、色が多彩に見えるようになってきた。牧野富太郎先生が植物にハマった最初はこうした不思議からなのではないかと、急に植物に興味が出てきた。

そう見えると急に面白くなる。いろんな花がたくさん置いてある。そのひとつひとつの不思議がたくさん生まれてきて面白くなってきた。同じ花でも元気のいい花とそうでない花の違いは何か?とか、どうして茎の一箇所から葉は伸びているのか?

とにかく見ていて楽しい。後日帰宅してみーさんっが育てている花/植物をマジマジと観察していたら、花/植物のことをみーさんが詳しく教えてくれた。

植物の美しさはほんの一瞬にある。その儚さが花を魅了する。しかし今回のわたしが植物に興味を持ったのはカタチや色だ。自然の中で繰り返し、枯れては、また種子から育つサイクルの中で自然の中の合理的な法則によって進化してきたはずだ。そうした変遷にも目を向けるとより面白く感じる。

興味がなかった植物に興味が行くようになって、自分の中で何かが覚醒した。

そんな名古屋旅だった。

植物園に行きたい。

🐦 杉 咲
🐦 杉 咲 @sgsk.blue

南信州で暮らすのんびりおじさん(1973年生) ($NXyx9 sgskメモ) https://sgsk.leaflet.pub/ https://mochott.site/sgsk.blue https://leaflet.pub//p/did:plc:vnhvv2x42zkztc6f6zh5qhrs/3mbdqc5tyhc2j #sgsk #今日のいくたん #杉咲ひとり言

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