『精神分析入門講義 上』から
ここ最近はフロイト関連の本を読んでいる。時間があるときにちょこちょこと。中山元さんの『フロイト入門』を読み終えた後に、『自我論集』の快感原則の彼岸を読んだ。難しくて「なんでそうなるんだろう?」って腑に落ちない感じだったりもしたので、読めそうなものとして『精神分析入門講義 上』を読み始めた。これはこれで面白い。なんか上手く説明できないんだけど、下記の引用がグッときたので残しておく。
失錯行為のところで出てくる、置き忘れの例。
自分自身がどこかに置いたはずのものが見つからなくて困る、これをいやというほど体験したことのある人ですら、置き忘れには意図があるといわれても信じられないでしょう。ところが、置き忘れの際の事情から、当事者にはその品物を一時的に、あるいは永久に除去したいという意向のあったことが窺われる例はけっして珍しくありません。この種のものとしては取って置きの一例を紹介します。
比較的若いある男性が話をしてくれたことです。「二、三年前のことになりますが、私たち夫婦のあいだに行き違いがありました。私は、妻があまりに冷淡だという気がしたのです。妻のすぐれたいろいろな資質を認めるのには吝かではなかったのですが、互いに情愛を感じることなく、そっぽを向いて暮らしていました。ある日、妻は、散歩に出かけた際に、私の関心を惹きそうだからと言って一冊の本を買ってきてくれました。私はこの「気遣い」のしるしに礼を言い、読むと約束して、しまっておいたところ、それが見つからなくなりました。その後、時々、なくしたこの本のことを想い出して探したりしたものの、見つからないまま数か月が過ぎました。半年ばかり後、私たちと離れて暮らしている私の大切な母が病気になりました。妻が行って義母の世話をすることになりました。病人の容態は悪くなり、それが妻の最もよい面が現れる機会となりました。ある晩、私は妻の働きに感激し、妻への感謝の気持ちで一杯になって家に帰ってきました。机のところへ行って、何というつもりもないまま、夢遊病者が何のためらいもなくやるように、その抽斗のひとつを開けました。見ると、そのいちばん上に、長くどこにあるかわからなくなっていた置き忘れた本があったのです」。
動機が消滅するのとともに、対象となる物が置き忘れられているという状態も終わったわけです。
よりみち多めな可変体 https://lit.link/7shisan
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