日記とメモワール『違国日記』の二面性
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日記文学の先駆者『蜻蛉日記』
藤原道綱母の手による回想録。貴族の権力者であった通い婚の夫がおとずれなくなっていった後、39歳の頃までの回想がされていて「日記」とされるが実態は半生を振り返った回顧録というべきもの。
歌の名手でもあり、折に触れて詠んだ歌を引用しつつ来なくなった夫や正妻的な地位を得ていった夫の別の妻の話など手から漏れていった何かを綴ったもの。道綱母がこの著作の中で「日記」だとして書かれたためこう呼ばれているが、男性貴族が政治や儀式・儀礼について記録してのちに同様の事があれば踏襲するための手段としていた日次記録(藤原行成『権記』、藤原実資『小右記』など)とは異なり、振り返って当時思っていた事を書いたからだとしている。この個人的心情とその頃に詠んだ歌とその解題は、のちに平安期の女性による日記文学とされるものの嚆矢ともなった。
このようにして『蜻蛉日記』は歴史に残る文学作品となった。道綱母はそんな事を狙って書いた訳じゃないだろうし、後世に印刷された本として出版されて多くの人々に読まれるものになるとは想像もしなかった事であろう。書かれていることは普遍的な感情であり1000年経っても変わりない事も多いと教えてくれる。
著者は藤原道綱母としか記録されていないのは女性にも名付けられているがその真の名を明かす事はない時代であり『蜻蛉日記』道綱母もその例外ではなかった(『小右記』藤原実資は娘に財産相続を画策した関係で日記にも「ちふる」という名前を書き残しているが極めて違例な事だった)。
朝の視点の時系列が錯綜する『違国日記』
長女(中学3年生)がいる一家が旅行中に両親だけ車中にいるところで事故に遭い死去した事で、母親の妹で小説家の槙生(まきお)が他の大人たちの不実な態度に対し姪である朝を引き取ると宣言するところから始まる。
槙生は亡くなった姉との確執があり、姪に対して含むものはないが、さりとて朝の小さな頃、朝が物心ついてない頃に会ったきりで関係は事実上ゼロスタート。そんな2人の生活が始まって朝が高校3年生の時のある1日の終わりからこの「日記」の世界へ誘う。
この『日記』世界の書き手は朝自身である事は示されているが、いつ著されたものか当初明かされない事で読者をミスリードしている(page.1で示される最初の一文は単なるモノローグというわけではない事はその表現の時制で示されている)。
槙生は朝が両親を生きているかのように語る自身に驚いた際に過去形や過去完了形の話をしているが、これは本作の視点がどの時期にあるのかヒントをくれているようにも取れる。
「日記」は決して日次記録だけ意味するものではない。先に挙げた『蜻蛉日記』は回想して彼女の思っていた事を語る事を「日記する」的な言い回しで説明をしている。
高校生の朝の日記は自由奔放で笠町ら大人からもらった名刺をファンシーなテープで貼ったり(まぁ、あげたほうの大人は驚愕するのは分かる)、砂漠でキャンプする自身という心象風景のイラストを描いたりする。槙生に言わせれば自由な人の自由な日記であると示されるが、それが『違国日記』だと宣言された事はない。
高校生になった朝は自らが何者であるのかというクエストを繰り返している。母親実里から受けた影響と自らの意思選択のありよう、父親の虚さという父親が語らなかったゆえに何も見えてこない空虚さの由来。両親の唐突な事故死という特別な出来事が他人にとっては興味を惹かない「特別さ」である事と負担は自身にだけ付け回されてくる朝自身にとっての不条理さ。その運命の特別さを表現しようとするが、特別なようでみんないずれは直面する別れであり、踏み込めないプライベートの事でもあり、周りはその特別さに触れてくれない。故に朝の模索する行為は決して賢さだけでは済まない愚かさなど内包している。
高校時代の朝が考えて悩んで行動した事は全ては自身が何者なのか、何者でもないのかに回帰してくる。そしてこの世界は全てに回答を示してはくれない。ただ朝が問題に思った事と解決した事・解決できなかった事が残っていき、解決できなかった事は後でわかるかもしれない事なのだと納得する事が朝が得た叡智となる。だからこそ彼女の「わからない」は極めて大事な認識となっているし、槙生はそんな朝の「わからない」の連呼を叱責しない。
本作の構造は主たる視点が未来の朝が振り返って書いている回想録としての『日記』であり、その視点は過去形でのモノローグとなって存在している。ただ朝の視点は常ではなく時に槙生や笠町くん、えみりや実里日記から漏れ出す何かだったりする。はじめは存在が漂ってる瞬間が原作にあると思っている描写があるが(原作7巻page.32最終ページの2コマ目と3コマ目)、その視線は何も語っておらず、ただ眼鏡を持った人物の視線があると感じてしまうのみである。
『違国日記』というタイトルが同音異義語の創作によるダブルミーニングであり、英語サブタイトル”Journal with Witch”はおそらく意図的に定冠詞を抜き誰か一人だけ指すわけではない事を示しているように思える。”Journal”はいわゆる日記=diaryを単純に結びつけられないようにするために日誌的な意味でも使われる単語を選択している。そして「魔女」は単純に誰かを指しているとは思えない。槙生を魔女と言うなら実里は進級が遅れた体験からの呪いにかかった魔女に見える。この二人の母親である京子は昔は聡明だったというところからの叡智というまでもないかもしれない何かを感じる。この言葉の選択に関していえば性別に関してもっと中性的な言葉の選択でも良かったのではと思うばかりではあるがある種の妖しさを出そうとすると”Witch”になってしまうのか。そこだけは惜しまれる(が、”Magician”では違和感が残り他にいい言葉を思い当たらないのも事実なのである)。
過去ではなく未来へ言葉を投げかける槙生
本作は「言葉」による意味を伝える、つまりコミュニケーションが本作の重要テーマとして横たわっていて、それは時に違った国の人、何を言っているのか分からないすれ違いと等価に扱われていて朝の戸惑いとなっている。
槙生は小説家であって漫画家ではない。言葉が主題なので小説であるべきだという選択がなされたように見えるし、彼女のデビュー作が戯曲であった事もその事とつながっているように思える。そして槙生は日記は書かないが、エッセイは連載している。このエッセイ連載の原型は朝について犬に例えたエピソードを思わず書いてしまっていて、依頼もないのに書いてって言っていたものがいつの間にか出版社のサイトで連載になっていた。
この作品は点描していくスタイルがたまたまつながっていたり、いったん消えたかと思ったら再度出てきたりそれっきりだったりする(台湾旅行は誰と誰が行ったのかも触れられてない)。エッセイの詳しい経緯は描かれていないがたまたま編集者が見逃さず連載提案をしたのか、槙生が売り込んだのかともかく連載されており姪とその友人という読者も得ている。槙生の書くものは小説というフィクションかエッセイという日記に近いものや詩に分かれるが、回想録という過去を振り返っていくものではなく、最近起きたことや未来に起きたことへの言及が主体になっているように思える点が面白い。ある意味一番自由な事を書ける立場を維持しているのが槙生で、朝が後に書き始めるものや実里の日記は過去への旅であり悔いであり約束とその履行の採点である。
本作では朝の母親であり槙生の姉である実里も日記と呼ぶものを書いている(が、やはり普通の日次記録ではなく、朝に対して命名のいわれなど何かしらの理由を語った回想録らしい気配がある)。この日記は唯一死者の残した言葉であり、なにかのきっかけで日記から漏れ出した何かが主導権を握っていてみせているかのような事が起きるが全ては過去に残した言葉や起きた出来事の”再生”というしかない描かれ方をしている。一種の呪いであり魔法でもあり救いでもある。単純に正しさを示すものではないし、実里が何らかの正当化をしていたとしても時におかしさを思い返させるトリガーとして働いている。書き手である実里の思うような読まれ方をしたとは限らない。
そしてこの日記に対になるものが『違国日記』つまり朝が後に書き始める回想録である。
実里は朝を育てるにあたり自分の過ち、妹の槙生に対する自身が思う「常識」の強要など後悔を踏まえて育てている。何もかも直ったわけじゃないし、夫のはじめの他者と関係を持ちたがらなない性格や彼の実家と絶縁状態にあり、あげく自身は事実婚で娘は夫の姓を正式に名乗らせるために家裁の手続きまで取っている。田汲という家族を成り立たせていたのは実里なのである。
朝には槙生の事を「槙生ちゃんは小説家」と教え込んでいるのは過去の悔いがどう改められたのかという形のひとつ。事故後、会っていきなり「ちゃん」呼びは衝撃であり、そして姉がすべてではないがなにか変化していた最初の証拠になった。実里はもういない。が、実里が教えて来た事は娘の朝という形で残されている。
実里とはじめ夫妻は謎の存在である。ただ実里に関しては書き残した日記と娘の朝という形で謎を紐解く手段は残された。
はじめに関しては彼が実家と絶縁した経緯を明かす人物か証拠となる記録が出てこない限り解き明かされない性質の深い謎である事は原作終盤で明かされている。その際に朝がどう受け止めていたのかが大事。彼女は「わからない」を知っている賢さがある。
もう一つ、笠町信吾の母が信吾の学生時代に作っていた弁当日記がある。淡々と息子の昼食用に作った弁当の内容が書かれている一方で息子が好物について隠していると書いていて面白い。何故丹念に記録を残したのか。ひとつ言えるのは平安期だったら男性貴族が政務や儀式など先例を子孫に伝えて未来の朝廷で優位に立つための武器を与えようと日次記録を残した「日記」が全盛だったものに似た執念を感じる。ただ息子に短サイクルで同じメニューを作りたくないという執念の賜物なのかもしれないが。
幼馴染の親友 楢えみり
小学生の時からの親友にして幼馴染の楢えみりは朝とは対称的なキャラクターであり違っているからこその友人関係であるように見える。男子からは告白されるような美人だが当人は全くその気がないし、告白されたら断る正当な理由を言ってくれと迫ってくる男子が気付いていない暴力性(恋愛は売り物でも買い物でもないし、言いたくない個人の心情もあるがすべて無視しているから理由を聞くという真似ができてしまう)に対して否応ない対応をする羽目にも追い込まれている。
えみりの事情は別に男性キャラクターでも同じような立場に立ちうる。この作品は女性目線で女性を描いているというが普遍的にある問題を女性視点で描いていることが多いというだけで笠町信吾のように偏差値の高い大学から銀行員となり、そこで「仕事ができない」奴という何かしらの失敗からのうつ病発症という挫折と転職と前職での男性間の競い合いみたいなものへの嫌悪に気付いたと触れている。そしてそんな優しさのかたまりみたいな熊のぬいぐるみみたいな彼にしても槙生に「笠町くんにはわかんないよ」と恋人関係の解消を一度はされている(ぐらいには常識的な価値観が先行していた時期が彼にもあった事を示してもいる。都合のいいだけの人物ではなく、槙生には耐え難い劣等感や嫌な固定概念を突きつけてくる人物だった時期がある事を示してもいる)。
Last page shows the starting point of the story to two time directions.
原作最終話(last page)の"Present time"において初めてメモワールとしての『日記』がたった今、この時点で書かれ始めた事が明かされる。彼女ら(おそらく朝とえみりだと思われるが指先などしか映り込まないので断言不能)の手指には何かしらの経験をしてきた痕跡が刻まれておりここに至って朝は回想録としての日記を書き始め、そして彼女らはここにきて改めて走り始めたようにも見える。
実里は成人した朝に渡すつもりで朝の命名の由来から始まる「日記」を書いた。その内容は最初のページしか明らかにされない。ただ日々の記録では半生記もしくは何かしらの雑感が書かれているのではないかと想像はできる。
実里は望んだ人生を歩めず妹の成功について何かしら思うところはあって、それは朝をどう導くかで影響も出ていた。でなければ朝がすんなりと槙生とそれなりの日常を暮らせる関係は築けなかったはず。そういう実里について槙生は朝を通じてしかもはや知り得なくなっているが、その一端からだけでも実里について新たな見方が加わった。
実里が残したものは朝が受け継いでいる。槙生はそれを嫌ってはいない。
朝とえみりにはまだまだ選択可能な未来がある。その入り口に立っているに過ぎないが、彼女らの羅針盤はそれまでに大人たちから与えられそして自らの経験で裏打ちしてきた。まだまだ羅針盤の先に挑戦出来る年齢であり新たな挑戦に立ち向かっている。その未来は槙生や実里、美知子らの存在があってのもの。書かれる日記はその証明になる。
原作内で触れられている映画・書籍リスト
映画『メッセージ』(2017/1日本公開):テッド・チャン短編小説原作とするSF映画。時間と言語のあり方をテーマにおいており、槙生が作中言及している(アニメでは言及されていない)。
映画『フライド・グリーン・トマト』(1990):原題のトマトは複数形。槙生がえみりの相談に乗っていていい映画だからと映画ディスクを貸した作品。U-NEXTの見放題に含まれている。アニメ版では比較的古い作品(90年代に映画化)のためかタイトルもぼかして言及されているが、原作は実際のタイトルを表記している。
映画『マッドマックス怒りのデスロード』(2015):文明世界が終わった弱肉強食の砂漠化した世界。ウォーロードの王の子を産むために囲われた女性たちを女性戦闘指揮官フュリオサがある女性たちを逃すためウォーリグで脱走を図った。マックスはいきがかりからその女性たちと連帯してウォーロードたちと死闘を演じる。フェミニズム文脈を持った作品でもあり、続編『フュリオサ』も製作された。
『フィフティ・ピープルズ』 韓国の連作小説集。多様な登場人物が語る形式で描き込まれているらしい。紙書籍版のみで電子化されていないのが残念。
『がまくんとかえるくん』シリーズ 原題は”Frog and Toad”。アーノルド・ローベルによる絵本シリーズ。かえるくんが掃除や水やりしないとっていうとがまくんが「明日、明日全部やるよ!」というエピソードがあるらしい。槙生ちゃんか?
朝「えみり既読おそーい」(『違国日記』6巻より)
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