「昼ランチ定食」
今やっている仕事は外に出ることが当たり前だ。
なので、昼飯は外で取る必要がある。本日も、長年の生活油でべしょべしょに汚れたガスコンロを分解し、何事も吝嗇をつけてくる客の乾燥機を修理した後に、昼飯を探し求めることにした。
業務開始から早くもくたくたになりながら、移動のため車を走らせていると「昼ランチ定食 500円」と書かれた幟を掲げた定食屋が目に入った。
「昼ランチ定食。昼ランチ定食って、なに?」と幟に書かれた謎の言葉に気を取られながらも、他の部分、即ち「500円」という破格の値段に目を奪われた。
外勤の人間にとって昼飯は一時の安息ながらも、いかに金を使わずに済ませ腹を満たせるか勝負の時間でもある。
何事の値段が高騰するインフレが蔓延った今の世界では「500円で昼飯を食うことができる。しかも、定食屋というまともな場所で」というのはかなりの魅力に思えた。
なので、迷うこと無くその定食屋に入ることにした。500円で腹を満たせる。それも昼ランチ定食で。るるるるる。ところで、昼ランチってなに? とか思いながら。
定食屋の中に入ってみると、昼時であるためだろうか人の入が激しく混み合っている様子だった。
自分の存在に気がついた女性の店員が近づいてきて「相席でもいいですか?」と聞いてきた。
店員は見るからにこの混み具合に辟易を覚えており、「お前ら、飯食ってないでさっさと出ていってくれ。つか、頼むな。入って座ってもいいけど、飯を、頼むな。ダサいパンとか買って食え」と言わんばかりの表情をしていた。それに加えて、動きもどこか怠慢で、できる限り自分の体力を浪費しないような仕草に没頭しているような感じがした。
要するに、この店員は疲れ切っていた。疲れ切って、飯を食うはずの定食屋から飲食の要素を剥ぎ取って、ただの屋にしようと企んでいた。憩いの場所であるはずの定食屋に破滅をもたらそうとしていたのだ。
などと店員の様子を見ながら想像し、相席に関して断る理由もなかったので了承した。能面の店員は能面を被ったまま、怠慢な動きでつーっと移動し四人がけのテーブル席に案内してくれた。
テーブルには既に中肉中背のオヤジが一人座っており、メニューを見ながらうんうんと唸っていた。装いはくすんだワイシャツによれよれのスーツと、くたびれたサラリーマンの体を完璧に整えており、額には若干の脂汗を浮かべていた。
そんなオヤジを目にしながら、自分はオヤジが座った対角線上、つまり、オヤジから見て向こう側の左側の席に腰掛けた。
腰掛けた後、メニューを確認しようとしたのだが、それはオヤジが占領している。
しばらく(オヤジが持ってるメニューに)物欲しげな眼差しを投げていたのだが、オヤジは自分の昼飯を何にするのかに熱中しており、自分の存在に全く気が付かない。延々粛々と、自分に合う料理はなんなのかを思案していた。
そんな状態なので自分はメニューを見ることを諦め、どんな料理があるのかも確認すること無く、幟に書いていた「昼ランチ定食」を頼むことにした。
そのことを告げようとし先程の店員を呼んだ。
相変わらず店員は、自身の体力を消耗しないことをモットーに掲げた怠慢な動きで近づいてきて「なに」と聞いてきた。
「なに」て。飯食いたいんだから、飯頼むに決まっているだろ。と思い口にしそうになりながらも、昼ランチ定食を注文したい旨を伝えた。
店員は「はい、昼ランチ定食ですね」と確認を取った後、一息吐き吸ったあと厨房に向かって「4番テーブル、昼ランチ定食入りましたあああああああああ」とかなり大きな声で伝達した。
店員の声はやけに通る声質をしており、人で混み合い雑言が溢れる店内を一気に静かにさせた。目の前にいるオヤジも、いきなりの大声に驚き身体をびくんと震わせ、メニューから目を離してなにが起きたのかを見渡して確認していた。
自分も驚きの中にいた一人であったのだが、少し時が経つにつれあることに気がついた。そう、自分は「昼ランチ定食を頼んだ人間」として辱めを受けいたのだ。昼時・ランチ時に謎の昼ランチ定食を頼む稀有な人間として。
そのことに気がつき、自分は抗議の意味を含め、眉間にシワを寄せ浅く目を閉じながら店員を少し睨みつける体勢を取った。能面を被った店員の顔がさらに薄くなり、虚無に近い表情になっていった。
しかし、店員は自分の表情など一切意に介さず、また怠慢な動きでつーっと何処かへ移動していった。
4番テーブルに残されたのは、一摘みの反抗とメニューとオヤジ。
つか、通るのか。昼ランチ定食。
料理を待っている間、店員に差し出されたグラスに温い水を注ぎそれを飲んだり、スマートフォンをいじいじしながらSNSにて他人の怨嗟に目を通すなどしていた。
それにも飽きた頃、頬杖をつきながら虚空を眺めていると、店内の何処かからラジオ音声が流れていることに気がついた。
流れているラジオ音声は沖縄の人間であれば聞いたことがある番組で、ラジオパーソナリティが他愛のない話題をなんたらかんたら話していた。多分、流行語大賞の話題だった気がする。
話題が終わったのかパーソナリティは曲のリクエストに移った。流行語大賞に合わせて『好きすぎて滅!』という曲を流し始めた。
その曲を聴きながら、なんで人を好きになった程度で破滅、壊滅、絶滅、仏滅を迎えないといかんのじゃ、アホか。とか思っていた。
思っていたのだが、よくよく思い出してみると、人の歴史、ひいては、物語というのは好きすぎて滅した例がかなり多いことに気がついた。
とある一国の王が一人の女性のために国を滅ぼしたり、とある女神が愛する男神のために冥府へ下ったり、愛する女性を助けるために凍えそうな膿へと沈んだり。
身近な例でいえば、とある作家が麻薬をかっ喰らった後、愛した女性と入水して自分だけ生き残ったなんて馬鹿な例もある。
そのことを思い出せば、「好きすぎて滅!」というのはあながち間違いではなく、人を好きすぎるが故に破滅、壊滅、絶滅、仏滅を厭わない姿勢でいるというのは人間の質または性を的確に表しているのではないか。
だとすれば、この「好きすぎて滅!」は流行語大賞に相応しいし、なんなら人間の標語にもするべきだろう。なんたって、人は人を好きになることにより破滅を望むのだから。
などと考えていると、メニューを眺め終えたオヤジがグラスに注いだ温い水をじっと見ながら一言ぽつりと漏らした。
「俺は借りすぎて滅だなあ」と。
凄まじいな、と思った。
それは思ったとしても口に出さないだろう。出すにしても、もっと場所は選ぶべきではないか。
場末の飲み屋で言えば相当ウケるだろうし、その日の流行語大賞も余裕で獲得できる。もしかすると、笑い死にを引き起こす人がいるかもしれない。
決して、こんな定食屋で言うべき言葉ではない。誰も反応しない空間で。
しかし、借りる、とはなんなのだろうか。
この場合、多くのケースが考えられるが、概ね金を指すだろう。
経験者であるから理解るのだが、借金というのは本当に苦しい。
給料が入れば借金の分だけ残高が差っ引かれ、金が無く選択する自由も阻害される。碌な飯は食えないし、安い酒ばかりを飲んで肉体・精神を摩耗させる。
金を借りたからこそ苦しみ首が回らなくなり破滅、壊滅、消滅、死滅をもたらす。それを回避するために、また借金をしないといけないのだが、雪だるま方式に苦しみが積み重なっていき、また破滅、壊滅、消滅、死滅の呼び水となる。
そのことを思うと、オヤジが漏らした「俺は借りすぎて滅だなあ」は、一片の心の叫びだったのではないか。
オヤジ、もう借りるな。一度休んでみるのも手だぞ。
そんなことを思っていたら、「アッシュース、こちら昼ランチ定食です」と間の抜けた声が聞こえた。
声がした方向に顔を向けると、能面がそこに立っており、盆に乗せた定食を自分の前に差し出してきた。
結論から申し上げよう。
この「昼ランチ定食」だが、ありえない程に不味かった。
気になっていた昼ランチ定食の正体だが、これはフーチャンプルー、麩の炒め物だった。
フーチャンプルーを簡単に説明すると、卵液に浸した麩を、野菜やポークなどと炒め合わせた料理のことなのだが、麩を戻す作業こそ面倒だが、あとは炒めるだけという軽い料理にあたる。
なので、失敗のしようがない、というか、不味く仕上げるには大層な技術を要する。自分も何度か作ったことがあるのだが、今まで失敗という失敗はしたことがない。
しかし、目の前にあるフーチャンプルー、もとい昼ランチ定食は鮮烈に不味かった。
まず野菜部分は相当に古いのか食感はしょぼしょぼぼそぼそしており、噛めば噛むほどに酸っぱさが広がる。そして、一緒になっているポークはなぜかかっちかちに固まっており、噛むのにも一苦労。苦労を重ねた後に広がる味は苦み、というものだった。
そして、主役である麩だが、これは完全に味がしなかった。本当に、味が、しなかった。小麦粉の味とか香りなどの一切せず、何も無いだけが口の中に広がった。生活が苦しい様を表す慣用句として「霞を食う」という表現があるが、この麩を食べている時間こそまさに「霞を食う」状態だった。
不思議な感覚だった。
不味くしようがない料理が、今、自分の目の前で不味い料理として提供され存在している。そして、箸を進めれば進めるほどに哀しみが広がっていく。頭の中では歌声が響いて、哀しみをないものとしようと努力している。
〽 闇のなかを走ってる 君のなかを走ってる
〽 空に向かってジャンプすれば 何も問題ないさ
〽 明日までは幸せ
と。
苦しみの「昼ランチ定食」をなんとか食べきり、再度、グラスに水を注いで飲む。
一息ついた後、目の前にいるオヤジに視線を向けると、とある料理を目の前にし、顔面の皺という皺を鼻を中心に凝縮させるようなものすごい表情で固まっていた。
どうやら、他の料理も軒並み不味いらしいと思い、オヤジが頼んだ料理を一瞥した。
くたくたに痛めつけられた野菜類、火が通り過ぎて黒く変色したポーク、そして色のない麩。
オヤジが頼んだ料理は「昼ランチ定食」だった。
その後、能面の店員に500円を支払い退店。
昔であれば、「あれごときに500円を払うなんて。つか、金を払うなんて」と悪態を吐くかもしれないが、今や物価高騰が支配する世界。飯を500円で済ませることができたことに感謝するべきなのか。
腹に苦しみを、頭に哀しみを携えながら、午後の業務をスタートさせた。
南海防人 日記書いてます https://note.com/syake_soboro
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