希死念慮と根拠のない希望
希死念慮から抜け出せたのは根拠のない希望だったのかもしれないと思ったこと。
朝ドラ『あんぱん』で嵩が夜の線路に横たわった場面があった。実際嵩さんは一度ならずも自殺しようとしたことがあったそう。線路の上に横たわったり試験は落ちただろうと思い結果がわかる前に縄跳びを首に巻きつけたと(ドラマにこのシーンは出てくるかな)。
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12歳のころ自殺しようと手首を切ったことがあった。深く切ることはできずこっそり絆創膏を貼ったもののじんじん痛くて死ぬことも難しいなとそれきりだったけど以来毎日のようにどうやって死ぬかということばかり考えていた時期があった。
居場所の無い存在否定された場にとどまったままでいると加速度的に気力が削がれ追い詰められていく。
私も柳瀬嵩さんのように中学を卒業したあたりから自殺願望は無くなったわけではないけど弱くなった。自死への想いはいつか他者へ向かいそうな気がした。
柳瀬嵩さんは憑き物が落ちたようだったと言ってたそう。これはある条件が揃った環境に置かれた場合の年齢と身体や脳の成長…などと何か関係があるのだろうか。
音楽や本や出会ったさまざまなことがあったけど例えば音楽は自ら奏でる気力があるのは元気がある場合で受け手としては聴くことができる環境が無ければ恩恵に預かれない。
直に助けてくれたことは自分の中にある希望、それも根拠の無い希望だったのではないかと思う(追い詰められた中ではそんな気力も出ないけど)。
期待、棚から牡丹餅的なこと、心地良い世界の想像。いいなと微笑む世界を頭の中で描くこと。
これらはさほど重要でも大切なことでもなくむしろふわふわした子どもっぽい逃避と捉えてた。よくよく振り返ってみれば子どもの頃から何かと無意識にやっててそのあと元気を取り戻していたということに気づいた。
夜寝入る前も脳内で課題を探しまわるのではなく楽しいことを想像しながら寝ると夜中に起きてふと不安になったり悲しくなって悪い方へ考えて眠れなくなるということも無くなった。
数年間ずっと自殺願望が心の底の底に溜まり続けたものはこびりついたように消えてしまったのではなく時折り首をもたげていた。
当時のような逃げ場のない追い詰められた状況ではないのに思い出しただけで辛かったり疲れがピークに達したような時にも逃げ出したい死んでしまいたいと。それはさほど深刻ではないため疲れが取れると元気を取り戻していた。
希死念慮は数が減り忘れられた落とし物のような存在になっているけれどこうして何かの拍子に思い出す。
自分を大切にすることとは気持ちを軽くすることなのだな。考えれば考えるほど何かを発見できると思い込んでいたような気がする。むしろそれは逆効果だった。もっと早く気がつけばよかった。
自殺しようとせずとも、これまで事故や病気で死に直面することは何度かあった。かつてはあの時死んでいればよかったのにと思っていたけど今は生きてて不思議に思いつつよかったと思えている、ということはたぶんもう大丈夫。希死念慮の呪縛は消えているのだろう。そうそれは自分で自分に掛けた呪縛になってた。
今日死んだとしても思い残すことは全く無いとは言えないけどもういいかなとも思う。
自分の心を取り戻す日は…やってくる。
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