共感疲労と安らぎ
1月15日に書かれたイリナさんの言葉
恐怖が魂を腐らせる餌として毎日のように与えられる現代社会。この罠に出口があるか誰にもわかりません。ただ、拷問のような日常の恐怖に身体が壊れ、支配され、誰でも抑圧者となる環境が揃っています。現代を生きる私たちは皆当事者であると同時に、皆P T S Dを背負うことでしょう。そうして操作されやすいモノになっていくのでしょうね。"PTSDと生きる1 イリナより - だいわlog" https://daiwa-log.com/magazine/yun_irina/life10/
イリナさんは男性を怒らせて試していると書いていた。私は私のこと知らないよねと相手が信じられなくなる。打ち解けた間柄ならいざ知らずそんなに親しくなってもいないのに告白してくる相手には不信感を募らせたものだった。お酒の酔い方とその人にとって許せない人(嫌いな人)に対する態度を見て相手の中の暴力性を見ようとした。
インターネットやメディアの情報に触れないわけにもいかない毎日のニュースなどには暴力がある。災害や事件事故など突然の要素に対処しきれず情報を咀嚼するのが苦しく辛くなることもある。それは確かに拷問のような恐怖。
理不尽に命を脅かされる人々の姿を知りながら安全な場所で食事をし布団に入ることができていることそのものが心の中を引き裂かれているような気持ちになることがある。
こうしたことに打ちのめされて、何かできる事がないか考え行動するのは人として大事なことであるけれども、本当は何もできない。心が持っていかれたままだと結局は周囲に大なり小なり悪い影響を及ぼしてしまう。
そんな自分を自覚したら小さくて簡単にできる幸せなことを探したい。それらがきっとバネになる。
どんなことに幸せを安らぎを感じるだろう。何か楽しいことなかったっけ。そう考えるだけでちょっと元気が出てきそうな気もする。日向ぼっこするだけでもいいかな。植物のように心の中に光合成の栄養素をとりこむ。背中を向けて陽にあたって。入浴も自分をいたわる贅沢な時間として捉えることもできる。温かな湯に浸る幸せを知っている。
「風が吹くとき」の映画のように、現実にはそれどころではなくなるかもしれないけれど、もう自分にはなにもできずにただ死を迎えることしかできなくなった時身の回りの誰かや知らない誰かを思うひとときを胸に祈りながら塵になれたらきっと幸せだなと思う。自己満足だけどそう思えることは恵まれてるんだろう。
空と時々の記録 🔗 https://lit.link/kisatomii
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