休むとは何か 考え事 第1回 / 全1回

休むとは何か

時深(ときみ)

今の仕事を始めて半年が経った。最初は契約が更新されるかどうかも不安だったし、真面目にじたばたと悩んで、悩んだなりに発見もあったし、それだけ余裕のない日が続いた。
今はおかげ様で無事に更新されることとなり、上司が早々に「もう仕事を覚えたよね」という態度を取ることに不安を覚えながら、今も余裕が戻らないままの日々を過ごしている。
そんなここのところの悩みは、専ら「休む」ことについてだ。

今の仕事の更新が決まった時、私の次の人生の目標も決まった。「もっと強い意志で休もう」。
仕事をして、生活のためのことをして、好きなことをして、ゆっくり寝よう。
このうちの「好きなことをして、ゆっくり寝よう」の比率をもう少し増やして、もっとプライベートで交友を取り戻しつつ、元気に仕事ができるようになろうと考えたのだ。

しかし今あるのは、「休むための行動をする体力/気力がない」という現状だ。
今日はこの現状に対する答えを探して、気持ちや現状を言語化してみようと思う。


まず、「もっと強い意志で休もう」という目標へ至ったのには理由がある。
入社当初に生活への危機が生まれ、その上に新しい働き方による環境変化も相まって、あまりにも仕事で精一杯になった。それに伴って友人との交友を持つ余裕がなくなり、交友がこれまでにないほど減少してしまった。その現状を待たずして仕事に余裕を食われ続け、言葉がどんどん出てこなくなり、また友人と話ができなくなっていく、……という悪循環が、生まれてしまったのである。

まず精神科で相談した時、主治医は「まずは自分を癒すことを考えよう」と言った。
だから私も色々とやってみた。すぐにできることから1日かけてやることまで、様々なセルフケアの手段を整理して、実際に比較的有効なケアの手段を見つけることもできた。お香を焚いてみるとか、仕事中に眺めて嬉しいマグカップを持つとか、遠出の計画を立てるとかだ。

そうして、セルフケアが実行できたり、できなかったりしながら過ごしてきた半年。
この表現で伝わるかどうかは不安だが、今の現状を例えるなら「正しいけど不自然なことをする余裕がない」というところに来ている。

不調になったら原因を探り、セルフケアとしていっぱんに言われてることを見よう見まねでやってみる。効果があるか検証をする。有効そうなものを記録する。そして同様の不調になった際に再度実行する。これらの一連の流れは、私の主観で言えばひどく「不自然」なものなのだ。つまり、この流れをやる気力がないのである。

私にとって、最近見つけたばかりのセルフケアたちはまだ「意識して選択・実行しなくてはならない」ものであり、主観的には「不自然」なものなのである。だから実行するには体力や気力が必要で、そのエネルギーがないときにはあっさりと取り落としてしまうのだ。
ケアが必要な時にこそ、意識して行った方が良いことが、意識する気力のなさ故に取り落とされてしまうジレンマだ。

そして何より、例えば仕事を続けるため、生活を続けるため、今抱えている仕事に穴をあけないため、生活のためのお金を稼ぐため、……自分が健康でいることが義務のようになっていて、逆に言えば健康でいる動機が「そこにしかない」ということ。この前提で実行されるケアの無力感。不全感。違和感。自分を元気にするという行為に対してあまり楽しみがない現状。
変な話かもしれないが、元気になったら「元気になったよね、じゃあまた頑張れるよね」と言われ崖から突き落とされるのではないか、という、未来の絶望を先に拾っているような感覚がするのだ。

健康でい続けることへの不慣れさや、健康になることに不幸を感じる苦しみが、
今の自分に巣食っている。

だから私は、仕事をするためや生活を続けるために自分と向き合える人たちに、深い尊敬の気持ちを持っている。人からはひどく甘えたことに聞こえるかもしれないが、私は仕事や生活のためだけに健康になるということが、難しいらしい。


少し余談だが、この考えを持って悩んでいるとき、(un)cured という雑誌の創刊号の広告が目に入った。

「ちゃんとしていたい」

「なるべく元気でいたい」

そう思っていても、心や身体は、いつも思いどおりになるわけではありません。

それなのに、社会のなかでは、

安定していること

元気でいること

自己管理できていること

これらをどこか“前提”のように求められている。

そんな息苦しさを感じる場面が、少なくないように思います。

『(un)cured』(アンキュアド)は、そんな感覚から生まれた、

自分の心身に振り回されている人のためのカルチャー・健康マガジンです。

この雑誌のコンセプトがあまりに現状の悩みにマッチしていて感激し、すぐ書店に電話をして取り寄せてもらった。今も少しずつ読んでいて、これからもしばらく読み続けようと考えている。


この話を書こうと思ったきっかけに少し触れようと思う。
この悩みについて、今日旧友に少し打ち明けてみたのだ。
すると旧友は、「"仕事に影響させないために休まないと/健康でいないと"というプレッシャーは手放した方がいいんじゃないのか?」と言ってくれた。本質的な話だなと思った。
とはいえ、いくら健康になろうとしてもいたちごっこのようになる現状や、それでも仕事や生活を休むわけにいかない背景を考慮した際に、どうしても難しくて悩む思いもある。このプレッシャーは、どうしたら手放せるんだろうか。
すると旧友は、「そういう行き止まりにいる時にこそ人を頼った方がいい」と言った。
「お返しできるかわからないくらい余裕がないのに、こちらから頼るのは失礼ではないか」と話すと、「そういうのは気にしなくていいんだ」と言われた。

「スタ爆でも”気分がすぐれない”と一言言ってみるでもいいから、外に出すということをやってみるといい」。

その人は私が、「日記やノートに気持ちを書き留める」ことによる内的な発散が続かず、限界でいることを知ってくれていた。だから「外に頼れ」と言ってくれたのだろう。
現状に対して、一緒に色々と考えてくれた旧友に深く感謝している。


最後に、ここまで読んでくださった皆さんへ、いくつかの問いかけをしたいと思います。

  1. あなたにとっての「自然に行えるセルフケア」はどんなものか?
    (不調な時にはこうすると決めている、あるいはなんとなく自然とこうしているもの)
    例: 寝る、薬を飲む、お気に入りの紅茶を飲む、散歩をする etc

  2. あなたは何のために健康でいたいと考えるか?
    例: 家族のため、自分のため、楽しく生きるため etc

  3. あなたが自分がどうにもならないくらい不調で人を頼る時、どのように頼るか?
    例: 「ちょっと話そう」と連絡をする、一緒にゲームをする etc

  4. 仕事や学業と生活を両立させるために意識しているポイントは?
    例: 一人の時間は絶対に作る、オンオフを切り替えるためにやっていること etc

ぜひ、あなたなりの答えを聞かせていただけたら、とても嬉しいです。
そして、たとえお話いただくことがなくとも、これがあなたのお心に留まって、
あなたにとって考えるきっかけになるような問いであったらと思います。

改めて、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

時深(ときみ)
時深(ときみ) @polasleep.bsky.social

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