料理の価値観

料理の価値観

時深(ときみ)

私はその日冷蔵庫にあるもので献立を考えがちだ。
同居人がレシピを調べてきっちり測って作るタイプで、私はその時微妙に余った食材を使って作るタイプなので、ある種噛み合いが良いとも言える。

たとえばグラタンを作るとき、冷凍庫を開く。消費期限ぎりぎりに駆け込んで冷凍した食パンを見つけたので、冷凍ブロッコリーと一緒に追加してみる。またある時は、ホワイトソースを作るのが嫌で、里芋を使ってとろみを出せないか試したりもした。具材にほうれん草を追加して、芋っぽさもあまり目立たない仕上がりになった。
中途半端に余った冷凍フライドチキンを揚げて、冷凍青ネギ・玉ねぎポン酢・醤油を混ぜたタレをかけて油淋鶏風にしてみたり、半分だけの玉ねぎや、コップ1杯ちょっとくらいの牛乳、最後の一つかみのほうれん草で、鮭の切り身とチーズを合わせたクリームパスタ風ソースを作ってみたり。

毎度余っている量や目分量でやるものだから、レシピもなかなか定まらない有様である。
これで大きく外した経験がないのは奇跡かもしれない。


少し昔の話をしようと思う。私の実家では、ずっと父が料理をしていた。
そして幼い頃父から教わったのは、「調味料の傾向」についてだった。調味料には大まかに、和風のもの・洋風のもの・中華風のものがあって、その構造を理解して組み合わせれば、ちぐはぐな味にはなりにくい、というのが父の主張だった。
父はもともと自分の腕一本で芸術をやってきた人で、そのセンスが料理という形にも表れていたのかもしれない。
そして今の私の料理は、「なんとかなるだろう」というノリや勢いと、当時の父の教えによって構成されている……と言っても過言ではない。


おそらく私は、「今あるものを残さず美味しく食べる」工夫をするのが好きなのだと思う。
たとえば、保温しすぎて固くなったご飯をチャーハンにしたり、
カレーを食べきった後の鍋に水や出汁を足して、カレーうどんのスープにしたり。
そういう工夫ができるとなんだかほっとするし、冷蔵庫の中身を使いきれるとすっきりする。
よかった、と安心するのだ。

そして何より、そういう料理たちを、うちにいる人間たちに喜んで食べてもらえている。
本当に、食べてくれる人の口に合っているのが一番の安心ポイントといえるだろう。
食べてくれてありがとう、といつも思っている。

人に対して「食べてくれてありがとう」と思うとき、ふと昔の「食べさせてくれてありがとう」を思い出すことがある。かつて毎年の楽しみだった祖母お手製の紫蘇ジュースや、両親の知人の方が作ってくださったフキの煮物、懐かしい味がたくさんある。
すぐに追いつける気は微塵もないが、いずれ自分でも挑戦してみたいと思うようになった。

不思議と、おそらくこれからも、こういう風に料理を作っていくのではないかという直感がある。あまり凝ったことはできないけれど、これからも「日常の料理」を作っていけたらいいな。

時深(ときみ)
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