(18)ハリー・S・トルーマン大統領
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ハリー・S・トルーマン
フランクリン・D・ルーズヴェルト(FDR)大統領4期目の副大統領であり、FDRの1945年4月の急逝に伴い大統領に昇進した。この当時の合衆国憲法には副大統領の補充規定がなく、次の大統領選後までトルーマン政権の副大統領職は空席となった。
トルーマンは学士号を持たないが、1年間高等教育課程を受講、その後、夜間の法曹コース受講(いずれも未了)をしていた。そして故郷のミズーリ州インディペンデンス周辺で事務員や家業の農業、郡行政官(カウンティ・ジャッジ)、州兵で士官に選出されて第一次世界大戦に出征したりしている。
大戦後、ミズーリー州カンザスシティーのフィクサー、民主党員でもあったトム・ペンダーガストの目に留まり彼の後押しを受けて上院議員に当選した。
第二次世界大戦中は上院の軍事等の予算監査の委員長をしており複数回、マンハッタン計画への予算流用の一端だったものを調べようとしてその都度スティムソン陸軍長官からの調査はやめてほしいという電話をもらっていた。スティムソンもよもやその内容をのちに説明する羽目になるとは想像していなかったのだろう。調査しようとしたトルーマンに対して罵倒を極めた日記に残していたという。
トルーマンの運命はFDRの大統領4選時、副大統領候補を3期目のウォレスから変える動きが民主党幹部らにあり、その中でトルーマンの名前が出て選ばれた事で大きく変わった。
1945年4月、FDRは62歳ながら健康状態が良くなく民主党幹部らの予想通り急逝してしまった。そしてスペアの大統領としてFDRからは無視に等しい扱いを受けていたトルーマンは大統領の座を手にしてしまうことになる。その時に接近してきたのが上院議員時代に知り合いでもあったジェイムズ・F・バーンズだった。
広島・長崎への原爆攻撃についてトルーマンは使用を了承しているが命令書は書いておらず、グローヴス将軍が起案した命令電文をハンディ陸軍参謀総長代行(マーシャルはトルーマン訪欧団に随行しており不在だったため)がグアム現地で指揮を取っていた陸軍航空軍戦略爆撃コマンドの司令官に対して発信したことで行われた。長崎に関しては個別命令すらなく最初の電文で2発使用する前提で命令がなされた。
長崎攻撃後だと思われるがトルーマンはマーシャルに対してある指示を出しており、1945年8月10日付けのグローブスから回ってきた3発目の準備状況の報告に対し、トルーマンからの指示として「大統領命令のない原爆攻撃は禁止された」とのメモ書きがつけられて返された。これがアメリカの核攻撃に関する大統領(文官)統制の最初の明確な命令となっている。
トルーマンは粗野で言葉が乱暴で原爆攻撃は自分の命令だったから自分の責任だし、悪いことなんかしてないと思っていたような人物ではあったが、一方で軍人が自由に核攻撃を命じるような事態は絶対に認められないと判断するだけの理性と常識を持った人物だった。そしてこのような人物だったからマーシャルを国務長官に任じてマーシャルプランによる欧州復興をさせたり、原爆使用を望んだマッカーサーを容赦なく解任したりと人事を含めて冷静な判断を下していくことになる。
何もかも止められたわけではないが野放図な事態を認めたわけでもなかったのは、単に核兵器をスーパーパワーとして使えると思っていただけの人でもない事を示している。
朝「えみり既読おそーい」(『違国日記』6巻より)
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